観 光 地

 

金見ソテツトンネル
金見荘から徒歩で10分程の場所にあります。
樹齢400年と言われているソテツがアーチになりトンネルになっています。
元々は畑しきりの為に植えたのが始まりといわれております。

2003年4月、
文化庁検討委員会による文化財保護法の改正にあたり、
ソテツトンネルが文化的景観重要保護地域に選ばれました。

「文化的景観」とは、
農村等の日常生活と密着した風景を保護する条例です。

金見崎展望台
ソテツトンネルを通りぬけた場所に金見展望台はあります。
「東シナ海」「太平洋」を一望する事が出来るビュースポットです。
天気が良ければ奄美の島々も見えます。
金見荘にお泊りの間、是非足を運んで下さい。
金見茶屋にて買い物も出来ます。

畦プリンスビーチ

徳之島町畦集落にあります。
昭和47年に天皇陛下が美智子妃殿下と一緒に訪れた事から、
「プリンスビーチ」(下写真)と名付けられました。

ビーチ近くには多目的広場(上写真)やキャンプ施設があります。
キャンプ場には炊事棟・シャワー等が無料で利用できます。
多目的広場ではいろんなイベントも行われます。

「徳之島一切節」の碑
徳之島民謡(島唄)の一つである「徳之島一切節」の碑。
発祥地である徳之島町母間集落にあります。
素朴で唄い易く、徳之島で一番愛されている民謡の一つです。

元唄は、
「我二人結合くゎしゅてぃ 名瀬かち逃んぎろや
名瀬や島近さり 鹿児島逃んぎろや」

訳すると、
「私達二人で落ち合って名瀬(奄美大島)へ逃げましょう。
 いや、名瀬は徳之島に近いから鹿児島(本土)へ逃げましょう。」
という意味。

明治時代中期から流行し、
奄美大島本土にもまたたく間に広がったそうです。
今ではさまざまな歌詞で唄われています。

第46代目横綱 朝潮太郎の銅像
昭和23年〜昭和37年、
大相撲にて活躍した徳之島出身力士、
「朝潮太郎」の銅像です。
生地である徳之島町井之川集落にあります。

雄大とそびえ立つ姿は寛大です。
むしろ瀬
奄美十景の一つです。天城町にあります。
岩がむしろのように連なっている事からこの名前が付きました。

自然の偉大さに感動を覚えます。
是非一度は訪れて頂きたい場所です。
忘れる事の出来ない場所となるでしょう。

犬田布岬
奄美十景の一つ。
奄美群島国定公園にもなっています。
断崖絶壁なこの場所はとても自然に恵まれている。
とても安らぐ事の出来ます。

1945年に撃沈された戦艦大和の慰霊塔もあります。

自然と歴史が交差するこの地は最も観光客が訪れる観光地です。
伊仙町犬田布にあります。

犬の門蓋
「いんのじょうふた」と呼びます。
「いん」は島口で犬の事です。
昔、大飢饉のとき人畜を襲う犬が出没し、
その犬をこの地の海に投げたと言う逸話があります。

天城町兼久にあります。
何年間も波に打たれた続けた断崖と奇岩は見ものです。

尚子ロード(記念碑)
2000年9月のシドニー五輪で、
金メダルを取った高橋尚子さんが、
徳之島で合宿を行ったトレーニングコースがあります。
金見荘近くの県道もコース(尚子ロード)です。
上記写真は金見荘近くの県道629号線。

宿泊した天城町に「尚子ロード記念碑」があります。

徳之島は近年、
スポーツ選手がトレーニングの為、よく訪れています。


伊仙民族資料館
伊仙町にある伊仙民族資料館です。
徳之島の歴史を知る事が出来ます。

■入館料:無料
■時間帯:9:00〜16:30
■休館日:毎週月曜日/祝祭日の翌日/12月29日〜1月3日


寝姿山
天城町にそびえる、通称「寝姿山」
日本全国に「寝姿山」が存在(?)するが、徳之島にも「寝姿山」があります。
妊婦に似ている事から「寝姿山」と地元で呼ばれるようになったそうです。
徳之島空港近辺からご覧になれます。


西郷公園

文久2年(1862年)7月2日、
西郷隆盛が来島。
同年8月26日に徳之島岡前の勝伝宅で落ち着き、
島妻「愛加那」(*1)と対面するも、
数日後沖永良部島へ遠島する命令。
愛加那は龍郷へ、西郷隆盛は沖永良部島へ遠島。

元治元年(1864年)2月21日、
沖永良部島和泊より蒸気船胡蝶丸で鹿児島へ向かう途中、
奄美大島の龍郷へ寄り妻子と別れた。
(当時、鹿児島へ連れだせない規則があった)

明治10年(1877年)2月25日、
西南戦争敗北後、鹿児島城山にて自刃。

徳之島へは2カ月の滞在だったと言われています。
島民と相撲をとったり、島民と馴染んでいたそうです。
当時西郷は35歳。身長179cm、体重:108kg前後。
当時の島民にとっては「大男」だったでしょうね。

天城町に西郷公園(写真上)はあります。
写真下は来島時の港と言われています。

*1愛加那・・・奄美大島の龍郷出身。本名は愛子、佐栄志の娘。
西郷隆盛の2人目の妻である。明治35年死去。
慶応元年(1865年)、西郷3度目の結婚の際に、
2人の子供(菊次郎・菊子)は西郷家へ引き取られた。
菊次郎は 第2代京都市市長(1904.10.12-1911.7.13)など歴任。
菊子は大山誠之助(大山巌(西郷隆盛の従弟)の弟)と結婚。
愛加那の資料として郷土教材映画「愛加那〜浜昼顔のごとく」がある。



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